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トランスクリプションとユニークな音楽作品



【はじめに】
 9歳のときにオペラにはまり屈折した人生を歩んできた私はCDのコレクターでもあり、現在約2500枚程度のCDを所有しています。この写真で約1000枚ですので、この2.5倍のCDで溢れています。このコレクションは、ほぼすべてクラシックというカテゴリに入るもので、一部ジャズや、その他のものも含まれています。またほとんどが輸入盤です。また非常に珍しいCDも多く含まれています。このコレクションを中心に「トランスクリプションとユニークな音楽作品」というテーマでレビューを試みようと立ち上げたのがこのコーナーです。このレビューがクラシック音楽に対する世間の誤解を解くきっかけになれば、と密かに思っています。

【トランスクリプションとは何か】
 「トランスクリプション」とは「新音楽辞典 楽語 音楽之友社」によれば「(1)編作。ある楽曲を他の楽器で奏するように書き直すこと。(2)=採譜。」とあります。また「編曲(アレンジメント)」の項には「異なった編成への編曲をトランスクリプションと呼ぶこともある。」とあります。つまり、「トランスクリプション」とは「編曲」の一形態といえると思います。
 ただこれは一例であって時代と共にその言葉の意味するところは違ってきますので、ここで紹介する作品に対しても厳密な定義を当て嵌めることはせず(そもそも当て嵌めは無意味かつ不可能だと思います)におきたいと考えています。
 さて、一般的にトランスクリプションはオーケストラ作品とピアノ作品の間でされることが多いようです。これは(1)ピアノという楽器がオーケストラの楽器のすべての音域をカバーしている点(注1)、(2)ピアノは一人で同時に多くの音を発生し、かつ複数の旋律を演奏することができ、さらには複数人で演奏することで、より複雑な演奏が可能となる点、がその理由であることは異論の余地はないと思います。
 ただ純粋なピアノ作品に比べ、一般にオーケストラ作品をトランスクリプションした作品は複雑で、技巧的にも非常に高度なものが要求されるようになります(注2)。そこにトランスクリプションをするときの創意工夫や、また演奏者による努力と工夫がみられ、そこに魅力を感じるところです。
 
(注1)厳密にはそうではない。
(注2)ピアノ作品は通常、左右の手用に2段譜であるが、こうした作品は3段や4段も珍しくない。

【ユニークな音楽作品とは何か】
 これの定義もありません。基本的に私がユニークだと思った作品を紹介していこうと思っています。
 世の中には不思議な作品がたくさんあります。ピアノ作品の例では、ショパンの別れの曲を左手だけで演奏できるように編曲した作品や、同じくショパンの練習曲を同時に2曲演奏してしまう作品、またモーツァルトのピアノ協奏曲20番をピアノソロに加えオーケストラパートまで一人で演奏できるように編曲した作品などは、あまり世間では知られていません。オーケストラ作品においても、ユニークだと思うものはたくさんあります。

【これらはオリジナル作品への冒とくか】
 以上挙げたような行為をオリジナル作品への冒とくという方々がいらっしゃいます。ベートーヴェンの交響曲をピアノで演奏するなどもってのほか、作曲者に失礼だし、オリジナル通りオーケストラで演奏するべきだ、と。私に云わせれば、こうした方々は大きな誤解をされているようです。
 18世紀や19世紀のオーケストラ作品で、当時のスタイルで演奏されることは現代では稀だというこをご存知ないのだと思います。一部のオリジナル楽器(ピリオド楽器ともいう)を用いたマニアックなオーケストラ以外、例えばウィーンフィルや、ベルリンフィル、NHK交響楽団もそうですが、そうした現代のオーケストラで演奏すること自体、オリジナル演奏とかけ離れているということです。
 まず楽器が違いますので、音質も違えば、音量のバランスも違います。またオーケストラの楽器の配置も、編成も大きく違います。例えばベートーヴェンの初期の交響曲の演奏をオリジナル編成で行うには通奏低音楽器(例えばフォルテピアノ)が必要ですが、そのような編成で演奏されることは滅多にありません。また、我が国特有の年末恒例の所謂「第九」ですが、これは多くの演奏がワーグナーが加筆した版を使っており、ベートーヴェン自身のオリジナル稿ではありません。
 またそもそも、当時は音を記録する手段もなく、当時の演奏を聴いた方で存命の方などいないのですから、オリジナルの演奏はどうであったかなど正確には誰にもわからないのです。
 さらに補足するならば、昔の人たちは現在ほど演奏する楽器や編成に拘りはなかったと思います。その証拠に、例えばバッハは同じ旋律と構成で複数種類の編成の作品を多く生み出していますし、モーツァルトの作品においても楽器を柔軟に取り換えて演奏できるようにしているものがいくつもあります。きっと現在よりも自由な発想だったのだと想像します。
 よって、どのような演奏スタイルであろうと、「楽しめたらそれでOK」だと私は考えています。そう、音楽というのは文字通り「音を楽しむ」もののはずです。好き嫌いは嗜好の問題なので自由ですが、「〜でなければならない」という発想を芸術に持ち込む方々に対しては本来の楽しみがおできにならないのか、とご同情申し上げる次第です。最後にトランスクリプション等をしたりそれを演奏するためには、そのオリジナル作品のことを愛しており、さらに敬意を表さなければ決してできるものではない、ということも付け加えておきます。よって冒とくなどはありえません。

                                                      2008年3月15日
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